こんにちは、あおけんです。
もうね、反省しかありませんよ。
最速最短を目指しがちな、超合理化傾向、、
これ、凄いようで、カッコイイようで、、、
実は、超カッコ悪いんですよね。
一周回ればそうなんです。
今の時代は特に。
昔は、みんながそれをできなかったし、
「少しでも効率的に」ってやってたと思う
のですが、これだけ豊かになった社会では
その必要性も薄れてきたのではないかと。
なんでこんなことを言い出したかというと、、
ミッツ・マングローブさんの記事を読んで
ハッとさせられたからです。
「粋・野暮・色気」について述べられてて、、
自分の中で何となくのイメージだったものが
そこにはハッキリと言語化されてて、
自分のカッコ悪さを改めて認識しました。。
気になった個所をいくつか引用しますね↓
>私がピアノの練習をしている横から
「そんなに速く弾いたら野暮ったい」と注文
がとんできたり、、
>「面倒臭さを耐え忍ぶ」とか「回りくどさを
受け入れる」ことでしょうか。そこに「色気」を
感じるんですよ。
>やっぱり、なんでも「最短距離」で行くのは
色っぽくありませんよ。結局、色気とは「時間と
手間」をかけることで生まれるものですから。
なるほどと。もう、読んでて、耳が痛い
というか目が痛いというか。。
反省するばかり。
合理的であること、最速最短であること全部を
否定するのは違うのですが、本当に合理性が
必要ないところでは、いっぱい寄り道すれば
良いなと思うし、むしろどうせ合理性を求めても
失敗の方が多くなるのが人生なのだから、
結果的に、そこに色気が出て良いのかなって。
まとめると、段階があると思っていて、
①できない
②できる
③あえてやらない
①⇒②を目指し、できるようになって
それで満足するのではなくて、
②⇒③が意図的にできるようになってこそ、
色気を出すことであり、粋なのかなと。
確かによくよく考えれば、
アートのホワイトスペースも、
音楽のコード進行や音数も、
映画やドラマのストーリー展開も、
イケてるモノゴトはどれも共通して、
強弱、緩急、明暗、有無などのギャップが
存在してるんですよね。
やりましょう、「あえてやらない」を。
やめましょう、「最速最短」を。
今日も最幸の1日に!!