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#00046 与えて、見返りは期待しない

 

こんにちは、あおけんです。

 

前回は価値主義の話でしたね。

 

で、後半の方で、

利益を求めてない人ほど好循環になる

ことが多いというくだりで今回へ

持ち越しています。

 

さて、、

 

「刻石流水(こくせきりゅうすい)」

 

この言葉、聞いたことありますか?

 

「他人から受けた恩義は石に刻み、

自分が施したことは水に流す」

 

こう聞くと耳にしたことがある人も

いるのではないでしょうか?

 

これ、めちゃくちゃ大切だなぁと

思うわけです。

 

こんなスタンスの人は人付き合いが

間違いなく良好なように思うし、

自分もそうありたいと思います。

 

段階があるように思います。

 

①与えられたい人

②ギブするけど見返りを期待する人

(感謝やリターンが欲しい人)

③ギブして見返りは期待しない人

(他人が喜ぶのが好きな人)

④ギブしてるように感じさせない人

(他人への最強の心遣い)

 

この4段階の限りではなく、

欲しがりはしないけど、

与えもしない人もいるかと思います。

 

とはいえ、この社会において、

価値は循環しており、いずれの段階かに

多くは該当すると思います。

 

私の感覚としては、

子供から大人になるにつれて、

それぞれの状況を経験するように

思います。

 

人生の半分以上は、

ギブする側の言動をとりたいなぁと

思うと、40歳~50歳には遅くとも

マインドチェンジできていないと

いけないことになります。

 

短命になる可能性も十分あるので、

今まで他人から与えられた価値に対して

死ぬまでに自分が他人に与えた価値の

総量で早く大きく上回りたいな

と思うわけです。

 

という今現在ですら、

親や友人、関係あるいろんな人に

与えられまくって生きてるので、

感謝するばかりですし、

それに比べ、自分がギブできてること

なんて全然大したことないなと

思うと情けなくもなります。。

 

しかも、、

 

ギブしても、返ってきてしまうんですよね。

不思議なもんで。

もっといえば、ギブした以上の価値になって

返ってきてしまう。それを望まずとも。。

 

一生かかっても与える量の方が多い人間には

なれる気がしねぇっていう(笑)

 

それだけに、余計に意識して与えたい。

そして、リターンもなくていい。

それが今のマインドセットになってます。

 

生活の中でも分かりやすいシーンがあります。

 

例えば、

・限られた種類の選択

⇒アイスクリームの味とか、我先にと

お気に入りの味を確保しちゃうのは

与える側とはいえないですよね。

本当は好きなのがあっても「残り物で

良いよ」って言えるのはカッコイイ。

 

・試食コーナー

⇒試食を食べまくった上で何も買わない。

販売者さんや他の人のことを全く考えてない

タイプも残念でしかないですね。

 

・順番待ち

⇒車で「お先にどうぞ」って入れてあげる人

は素敵だし、逆に割り込むような人は残念。。

行列や着席でも、子供やお年寄りを優先させて

あげたり、席を譲ったりできるのは素敵です。

 

これらを見てくと、

 

だいたい、自然に与える行為ができてる人は

「この人、大人だなぁ」って感じる人だと

思います。

 

逆に自分のわがままを通したり、自己中心的な

我先にの言動が出る人は、いつまでたっても、

精神的に子供のままなんでしょうね。

 

でも、どこかのタイミングで気づく人は

気づくと思うんです。

 

「与えられるより、与える方が気持ち良い」

 

って。

 

私は、ギバーさんが好きですが、、

 

見返りを期待したギバーさんには

ガッカリしてしまいます。。

 

だから、自分が与えるときも、

もうそれは、捨てたもの同様に考えます。

 

見返りは期待しませんが、

喜んではいなさそうだなって感じたら、

次回からは与えないようにします。

 

それは、自分が良かれと思ってしたことも

迷惑に感じたりする場合もあると思うからです。

 

時々、聞いて違和感を感じたりする一例が、

「彼氏に〇〇プレゼントしてあげたのに、

私の誕生日プレゼントはしょぼかった」的な。。

 

それは確かにそうなのかもしれないにしても、、

見返り期待しすぎパターンで、何とも残念。

 

最近だと、スーパーボランティアとして

一躍有名になった尾畠春夫さんは、

正に今回のテーマにおける理想像のような人です。

 

自分がやりたいからやっているし、

被災地に迷惑をかけず、喜ばれる行動をしている。

 

お礼に、食事やお風呂を勧められても一切

お断りをしている。

(感謝の気持ちを素直に受け取ってあげるのも

被災者を気持ちよくしてあげる行為かもだけど)

 

これが、一貫していてカッコイイ。

 

ボランティアと言いつつ、現地に入って

かえって迷惑をかける人もしるし、

それによって「良いことをしている」って

アピールの材料にしたい人もいる。

 

尾畠春夫さんはガチンコで「利他の心」を

持っている希少な人の一人のように思います。

 

私は恥ずかしながら、被災地に対しては、

ちょっとした募金をする程度しか

できない小さな人間です。

 

だからこそ、ただただ尊敬するばかりです。

 

ちょいと長引いてきたので、

そろそろ、締めます。

 

ご覧頂いている人への提案でもありますが、

自戒のメッセージでもあります。

 

・与えられる量より、与える量が多い人生に。

・与えて、見返りは期待しない。

・お礼しなきゃと思われないような心遣いを。

 

「これ余っちゃって、食べきれないから手伝って」

 

こんなお裾分けのフレーズは最強だなと思います。

 

逆に、お中元とかお歳暮みたいな形式的な

やりとりは個人的には好きになれません。

 

もちろん、良き文化の1つともいえるかも

しれないのですが。。

 

今回のテーマにも関連してきますが、

人間の言動には、それをさせるだけの

インセンティブが必ずあります。

 

次回は「インセンティブ設計」を

テーマにお話しようと思います。

 

今日も最幸の1日に!!